祝!海上自衛隊潜水艦隊ホームページ開設
海上自衛隊潜水艦隊のホームページ開設のニュースを発見!
早速確認してみました!リリースしたばかりなので、ボリュームはそこまでないですが、写真集のページには、海上に浮上する瞬間の潜水艦や、バックに花火が上がっている停留中の潜水艦など、貴重な写真が盛りだくさんでした!
また、海上自衛隊に所属している潜水艦の一覧も見ることができるのですが、艦名が全て「○○しお」または「○○りゅう」になっているなど、法則性も見つけることができて面白かったです。
【ニュース】海上自衛隊 潜水艦隊、ホームページを開設 https://t.co/zGidC3VKpE
— 船舶情報 FUNECO (@FunecoJp) 2021年2月2日
今後コンテンツがさらに充実していくことを期待しています!
「取舵一杯!!!」どっちへ進めばいい?船乗りじゃなくても知っておきたい船の専門用語3選
今回は船乗りじゃなくても船好きなら知っておきたい専門用語3選をご紹介します!
1 ようそろ
「ようそろ」は漢字で「宜候」と書き、「そのままの針路を保て」を意味します。海上自衛隊の艦船では、現在でも操舵号令を日本語で行っており、「今の針路ようそろ」という風に使われます。船がその針路に乗ったら操舵手は、「〇〇ようそろ」を復唱します。
ちなみに、英語では「ステディ(Steady)」と言い、今の針路ようそろは、「ステディ・アズ・シー・ゴーズ(Steady as she goes.)」となります。
2 取舵・面舵
テレビや映画などで、船の向きを変えるときに、「おもかじいっぱーい!」と号令をかけているのを見かけることがありますよね。右に舵を取ることを「面舵(おもかじ)」、左に舵を取ることを「取舵(とりかじ)」といいます。昔使われていた和磁石では方位の目盛りが十二支になっており、卯の方向に舵を切ると船は右に、酉の方向に舵を切ると船は左に進みます。
ちなみに、面舵は、「卯面舵(うむかじ)」から転化しました。
3 レッコ
「レッコ」は錨を投下するときの号令として使われます。レッコは英語の「Let go」のことです。錨を投下する以外にも、「もやいレッコ」→「ロープを解いて離せ」、「ゴミをレッコ」→「ゴミを捨てて」といった風に使われます。
まとめ
・ようそろ→針路はそのままで
・取舵→船の進行方向は「左」、面舵→船の進行方向は「右」
・レッコアンカー→「投錨しろ」
funeken-taisaku.hatenablog.com
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雨の日も雪の日も「本日は晴天なり」?!「本日は”曇天”なり」がダメな理由
無線局がマイクテストや無線電話の調整として電波を発射したり、海上保安庁所属の通信所が海上予報や海上警報を発するときに連呼する「本日は晴天なり」。雨や雪、台風の日にも関わらず「本日は晴天なり」です。なぜなのでしょうか。
「本日は晴天なり」は法律で決められた文言
無線局運用規則という法律で、試験電波を発射するときは、「本日は晴天なり」を使うように決められています。従って、天気が悪いからといって「本日は曇天なり」とか「本日は雨天なり」とは言えません。
「本日は晴天なり」になった理由
「本日は晴天なり」の語は、アメリカのマイクテスト「It's fine today.」を直訳したものです。It's fine today.には英語の発音に必要な要素が全て含まれているため、この語が採用されましたが、「本日は晴天なり」には発声、発音に関して特別な意味はありません。
試験目的なんだから、もう少し合理的な語がいいのでは・・・と思うのですが、一度定着したら中々変えづらいのでしょうね。
無線局運用規則第39条
無線局は、無線機器の試験又は調整のため電波の発射を必要とするときは、発射する前に自局の発射しようとする電波の周波数及びその他必要と認める周波数によつて聴守し、他の無線局の通信に混信を与えないことを確かめた後、次の符号を順次送信し、更に一分間聴守を行い、他の無線局から停止の請求がない場合に限り、「VVV」の連続及び自局の呼出符号一回を送信しなければならない。この場合において、「VVV」の連続及び自局の呼出符号の送信は、十秒間をこえてはならない。
一 EX 三回
二 DE 一回
三 自局の呼出符号 三回
2 前項の試験又は調整中は、しばしばその電波の周波数により聴守を行い、他の無線局から停止の要求がないかどうかを確かめなければならない。
3 第一項後段の規定にかかわらず、海上移動業務以外の業務の無線局にあつては、必要があるときは、十秒間をこえて「VVV」の連続及び自局の呼出符号の送信をすることができる。無線電話の場合には無線電信用略符号に代えて、次のような無線電話用略語を用いなければならない(無線局運用規則第14条第1項、別表第4号)。
略語 意義又は左欄の略語に相当する無線電信通信の略符号
ただいま試験中 EX
こちらは DE
自局の呼出符号 自局の呼出名称(又は呼出符号)
本日は晴天なり VVV無線設備の機器の試験又は調整のための電波の発射が、他の既に行なわれている通信に混信を与える旨の通知を受けたときは、直ちにその発射を中止しなければならない(無線局運用規則第22条第1項)。
1月29日は南極の日でした!理由は知っていますか?
一日遅れてしまいましたが、昨日1月29日は南極の日でした。先日、日本の南極観測船の歴史についての記事を書きましたが、今回のトピックに非常に関わりが深いので、よろしければそちらも一緒にご覧ください。
【参考記事】
funeken-taisaku.hatenablog.com
1月29日は「南極の日 昭和基地開設記念日」
1956年に出発した日本の初代南極観測船「宗谷」で、第1次南極観測隊53名が翌年東オングル島(南極大陸から約5km離れた場所にある島。)に到着し、1957年1月29日観測隊の隊長永田武氏が当地を昭和基地と命名しました。よく南極の日に昭和基地が完成したと勘違いされるのですが、正しくは、そこに上陸した人が、「ここを昭和基地とする!」と宣言した日、ということなのですね!
日本で初めて南極探検を行った「白瀬矗」
せっかくなので、南極観測の歴史を原点まで遡ってみましょう。白瀬矗(しらせのぶ)は、1912年に日本で初めて木造機帆船〈開南丸〉による南極探検を行いました。
最初は北極を目指した白瀬でしたが、アメリカの探検家、ロバート・ピアリーの北極点到達を知ると計画を南極に変更し、1910年11月28日、隊員27人とともに、〈開南丸〉で東京芝浦港を出向しました。ちなみに、開南丸を命名したのは東郷平八郎です。
南極探検旗
この開南丸のマストには、隊旗「南極探検旗」が掲げられていました。これは4つの星をダイヤモンド形に結んだデザインで南十字旗とも呼ばれ、硬い団結と信頼を表しています。
大和雪原
困難な公開を経て、開南湾(白瀬命名)に到着した後も過酷な探検は続き、ついに南極点到達を断念しました。1912年1月28日に到達した南緯80度50分周辺一帯を「大和雪原」と命名して帰国の途につきました。ただ、残念なことに、日章旗を立てた地点は、大陸ではなく氷上でした。
余談ですが、白瀬矗は秋田県金浦村(現・にかほ市)の歴史あるお寺の長男として生まれました。白瀬矗の業績を記念するため、にかほ市には知らせ南極探検隊記念館が建てられています。また、記念館周辺の「南極公園」には、開南丸のレプリカもあります。
まとめ
・日本で初めて木造機帆船による南極探検を行ったのは「白瀬矗」
・その際に使われた船の名前は〈開南丸〉
・白瀬は南極点到達を断念し、「大和雪原」と名付けた地点は大陸ではなく氷だった
Dr. Stoneにも登場!ステルス艦の仕組みについて
先週のジャンプのDr.Stoneで、主人公の千空たちがステルス艦のクラフトにトライしていましたね!結局ステルス性能がイマイチだったので別の方法を取りましたが、さすがの千空でも軍事機密レベルの造船はできなかったようですね。
ということで、今回はステルス艦の仕組みについて、簡単に解説していきたいと思います。
「こっそり」を意味するステルスは、敵から探知されづらくする軍事技術の意味でよく使われます。
ステルス性能を実現するための要素はいくつかありますが、索敵の最も有効な手段はレーダーなので、レーダーに映らない船体を作ればステルス航行できるようになります。
そもそもレーダーは電波を発射し、対象物に当たった反射波を捕捉して対象物の存在を確認する仕組みになっています。レーダーを掻い潜る手っ取り早い方法は、飛んできたレーダー波をあらぬ方向に反射させる形状にすることです。(他には電波を吸収する材料を利用する方法などもあります。)
そのために取り入れられたのが、タンブルホームという船型です。これは舷側を甲板に向かって内傾させたもので、上部構造物も上方ほど尖らせることで、レーダー反射板を空に逃がして探知されづらくしています。
もとは帆船のマストを支える横静索(シュラウド)をまっすぐ舷側に固定するために考案された船型ですが、全く別の用途に使われています。
電波をあらぬ方向に反射させるという、言ってしまえば案外単純な仕組みなのですが、ステルス艦のカクカクで近未来的なフォルムがとてもかっこいいと感じるのは筆者だけでしょうか。
まとめ
・ステルス艦の多くは舷側や上部構造物を内側に傾斜させてレーダー波を空に向かって反射せている
・このような船型をタンブルホームという
・もともとはステルス機能とは別の用途で使われた帆船の船型だった
普段何気なく着ている船にまつわるファッション3選
二十四節気では1月20日から2月3日までの15日間を「大寒」といい、一年で一番寒い季節を意味します。つまり、この記事を書いている1月29日は大寒真っただ中!昨日も関東で雪が降りニュースなどで話題になりました。
そんな寒い中、街中を歩いている人の多くはコートを着ています。普段何気なく来ているオシャレなデザインのコートの多くが、実は船にまつわるファッションだということは知っていましたか?
今回は船にまつわるファッション3選をご紹介していきます。
1 ピーコート
ピーコートは15世紀ごろのオランダで漁師や船乗りが着ていた「ピイヤッケル」が語源とされています。粗い毛織物(ピイ)の厚手の防寒上着でした。それが軍服として採用され、後に一般のファッションとして普及しました。
船上の厳しい気象条件化で使用するため、風向きにより左右どちらにでも前合わせを変えることができるような仕様になっています。
19世紀末からイギリス海軍が艦上用の軍服として着用していました。また、少なくとも1720年代のアメリカの新聞には「pea jacket」という単語を見ることができたようです。
2 ダッフルコート
ダッフルコートは北欧の漁師の衣服がルーツです。フード付きの防寒コートで、使用されている起毛仕上げの厚手の二重綾織りのダッフル生地(紡毛織物、ウール生地)の原産地、ベルギーのアントウェルペン近郊の都市デュフェル(英語名ダッフル)に名称が由来します。
第二次世界大戦時にイギリス海軍で防寒着として広く使用され、その余剰在庫品が大戦後に市場に出回ったことで一般化しました。
3 ブレザー
ブレザーは形状の違いによって、「シングルブレスト」と「ダブルブレスト」の2種類に分かれます。シングルブレストは日本の学生服にも幅広く採用されていますが、ダブルブレストは見かけることが比較的少ないように思います。
ダブルブレストはイギリス海軍の軍艦〈ブレザー〉号が制服にダブルの金ボタンのジャケットを揃えたのが始まりです。
シングルブレストはケンブリッジ大学とオックスフォード大学の対抗レガッタレースで、ケンブリッジ大学が燃えるような(Blazer)真紅のジャケットを揃えたことに由来します。
まとめ
・普段着ている衣服の中には船にまつわるファッションがある
・主なものは「ピーコート」、「ダッフルコート」、「ブレザー」
・ピーコートは風向きにより、左右どちらでも前合わせにできるような仕組みになっている
日本初の北極域研究船の建造が始まる前に日本の南極観測船の歴史を振り返ろう
日本初の北極域研究船の建造が来年度から始まるようです!建造費の総額は335億円で26年度の竣工を目指す、とのこと。まだまだ先ですが、完成が楽しみですね!ちなみに、北極域研究の背景としては以下のような事があります。
気候変動予測の高度化に資する海洋情報を把握する等の北極域における研究開発の強みをより一層発揮するため、北極域研究では「継続性」が重要で あることを認識し、砕氷機能を有する北極域研究船や運航費等の確保、中長期を見据えた人材育成や研究開発プログラムに関する取組を加速することが求 められる。
https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/ocean_policy/content/001359031.pdf
ちなみに、日本海事新聞写真部さんのツイートで知りました。
【新造船情報】政府は日本初となる北極域研究船の建造に2021年度から着手します。同種の船として初めてLNG燃料DF機関を搭載。建造費の総額は335億円で2026年度の竣工を目指します。JAMSTECは北極海航路を航行する商船の開発にも貢献できるとしています。https://t.co/mj6mltqZ9A pic.twitter.com/O8HncrdTYS
— 日本海事新聞写真部 (@kaijiphoto) 2021年1月27日
まだまだ船の完成には時間がかかるということで、北極とは反対の南極に目を向けて、日本の南極観測船の歴史を振り返りましょう!
現在の日本の南極観測船
現在日本が運航している南極観測船は〈しらせ〉という船で、2009年に就役しました。しらせは4代目の南極観測船で、しらせの前に3隻の南極観測船がいます。
初代南極観測船
初代南極観測船は〈宗谷〉(そうや)といい、1938年に進水しました。耐氷型貨物船として建造された宗谷は、南極観測船に転用されて1956年から6次にわたる観測に従事しました。現在は東京お台場に係留され、一般公開されています。最寄り駅はゆりかもめの東京国際クルーズターミナル駅です。
タロとジロ
ちなみに、第1次南極観測隊には、樺太犬の兄弟タロとジロも乗船していました。この2匹を含むワンちゃん15匹は、いろいろあって南極に置いてけぼりにされてしまいます。犬だけで南極で生き残れるはずがないと、生存が絶望視されていましたが、なんと第3次の観測中にタロとジロが発見され、奇跡的に日本に帰還するという超感動的なエピソードがあります。
2代目南極観測船
宗谷は1962年に南極観測の任務を後継の〈ふじ〉に譲ります。貨物船として建造された宗谷とは異なり、ふじは最初から南極観測船として建造され、第7次から第24次の観測に従事しました。現在は名古屋港のガーデンふ頭に係留されています。
3代目南極観測船
1983年にふじから〈しらせ〉に任務がバトンタッチされます。現役の南極観測船と名前が同じ紛らわしいので、ここでは「初代しらせ」と呼びます。初代しらせは第25次から第49次の観測に従事し、25年間の長きに渡って活躍し、2009年に〈二代目しらせ〉に任を譲りました。
ちなみに、退任後は一度スクラップにされそうになりますが、南極地域観測統合推進本部が文部科学省に掛け合って民間への売却を進めます。2010年に気象情報会社「ウェザーニュース」が購入することが決まり、環境情報発信基地として「第二の人生」を送ることになりました。
4代目南極観測船
ということで、2009年から現在まで、二代目〈しらせ〉が日本の南極観測船として現役で活躍しています。2020年には「南極移動基地ユニットの実証実験」のため、第61次の南極観測が実施されました。日本の港に寄港した際は、一般市民向けに船内見学会が実施れることもあります。筆者も浜田港と清水港に寄港した際、見学会に参加しました。本物の南極の氷を触ったり、貴重な体験ができました。
船の呼称の違い
〈しらせ〉は文部科学省・国立極地研究所の南極地域観測隊のために建造されており、その建造費は文部科学省が支出しています。ただし、運用は防衛省・海上自衛隊が行っている関係で、文部科学省では「南極観測船〈しらせ〉」、防衛省では「砕氷船〈しらせ〉」と呼んでいます。なんか、いろいろ事情があるんですねえ・・・。
まとめ
・現在の南極観測船は4代目で船名は〈しらせ〉
・歴代の船名は、〈宗谷〉、〈ふじ〉、〈しらせ(初代)〉、〈しらせ(二代目)〉
・所属は海上自衛隊、建造費は文科省の支出なので、それぞれの船の呼称が異なる
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