日本初の北極域研究船の建造が始まる前に日本の南極観測船の歴史を振り返ろう
日本初の北極域研究船の建造が来年度から始まるようです!建造費の総額は335億円で26年度の竣工を目指す、とのこと。まだまだ先ですが、完成が楽しみですね!ちなみに、北極域研究の背景としては以下のような事があります。
気候変動予測の高度化に資する海洋情報を把握する等の北極域における研究開発の強みをより一層発揮するため、北極域研究では「継続性」が重要で あることを認識し、砕氷機能を有する北極域研究船や運航費等の確保、中長期を見据えた人材育成や研究開発プログラムに関する取組を加速することが求 められる。
https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/ocean_policy/content/001359031.pdf
ちなみに、日本海事新聞写真部さんのツイートで知りました。
【新造船情報】政府は日本初となる北極域研究船の建造に2021年度から着手します。同種の船として初めてLNG燃料DF機関を搭載。建造費の総額は335億円で2026年度の竣工を目指します。JAMSTECは北極海航路を航行する商船の開発にも貢献できるとしています。https://t.co/mj6mltqZ9A pic.twitter.com/O8HncrdTYS
— 日本海事新聞写真部 (@kaijiphoto) 2021年1月27日
まだまだ船の完成には時間がかかるということで、北極とは反対の南極に目を向けて、日本の南極観測船の歴史を振り返りましょう!
現在の日本の南極観測船
現在日本が運航している南極観測船は〈しらせ〉という船で、2009年に就役しました。しらせは4代目の南極観測船で、しらせの前に3隻の南極観測船がいます。
初代南極観測船
初代南極観測船は〈宗谷〉(そうや)といい、1938年に進水しました。耐氷型貨物船として建造された宗谷は、南極観測船に転用されて1956年から6次にわたる観測に従事しました。現在は東京お台場に係留され、一般公開されています。最寄り駅はゆりかもめの東京国際クルーズターミナル駅です。
タロとジロ
ちなみに、第1次南極観測隊には、樺太犬の兄弟タロとジロも乗船していました。この2匹を含むワンちゃん15匹は、いろいろあって南極に置いてけぼりにされてしまいます。犬だけで南極で生き残れるはずがないと、生存が絶望視されていましたが、なんと第3次の観測中にタロとジロが発見され、奇跡的に日本に帰還するという超感動的なエピソードがあります。
2代目南極観測船
宗谷は1962年に南極観測の任務を後継の〈ふじ〉に譲ります。貨物船として建造された宗谷とは異なり、ふじは最初から南極観測船として建造され、第7次から第24次の観測に従事しました。現在は名古屋港のガーデンふ頭に係留されています。
3代目南極観測船
1983年にふじから〈しらせ〉に任務がバトンタッチされます。現役の南極観測船と名前が同じ紛らわしいので、ここでは「初代しらせ」と呼びます。初代しらせは第25次から第49次の観測に従事し、25年間の長きに渡って活躍し、2009年に〈二代目しらせ〉に任を譲りました。
ちなみに、退任後は一度スクラップにされそうになりますが、南極地域観測統合推進本部が文部科学省に掛け合って民間への売却を進めます。2010年に気象情報会社「ウェザーニュース」が購入することが決まり、環境情報発信基地として「第二の人生」を送ることになりました。
4代目南極観測船
ということで、2009年から現在まで、二代目〈しらせ〉が日本の南極観測船として現役で活躍しています。2020年には「南極移動基地ユニットの実証実験」のため、第61次の南極観測が実施されました。日本の港に寄港した際は、一般市民向けに船内見学会が実施れることもあります。筆者も浜田港と清水港に寄港した際、見学会に参加しました。本物の南極の氷を触ったり、貴重な体験ができました。
船の呼称の違い
〈しらせ〉は文部科学省・国立極地研究所の南極地域観測隊のために建造されており、その建造費は文部科学省が支出しています。ただし、運用は防衛省・海上自衛隊が行っている関係で、文部科学省では「南極観測船〈しらせ〉」、防衛省では「砕氷船〈しらせ〉」と呼んでいます。なんか、いろいろ事情があるんですねえ・・・。
まとめ
・現在の南極観測船は4代目で船名は〈しらせ〉
・歴代の船名は、〈宗谷〉、〈ふじ〉、〈しらせ(初代)〉、〈しらせ(二代目)〉
・所属は海上自衛隊、建造費は文科省の支出なので、それぞれの船の呼称が異なる
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