1月29日は南極の日でした!理由は知っていますか?
一日遅れてしまいましたが、昨日1月29日は南極の日でした。先日、日本の南極観測船の歴史についての記事を書きましたが、今回のトピックに非常に関わりが深いので、よろしければそちらも一緒にご覧ください。
【参考記事】
funeken-taisaku.hatenablog.com
1月29日は「南極の日 昭和基地開設記念日」
1956年に出発した日本の初代南極観測船「宗谷」で、第1次南極観測隊53名が翌年東オングル島(南極大陸から約5km離れた場所にある島。)に到着し、1957年1月29日観測隊の隊長永田武氏が当地を昭和基地と命名しました。よく南極の日に昭和基地が完成したと勘違いされるのですが、正しくは、そこに上陸した人が、「ここを昭和基地とする!」と宣言した日、ということなのですね!
日本で初めて南極探検を行った「白瀬矗」
せっかくなので、南極観測の歴史を原点まで遡ってみましょう。白瀬矗(しらせのぶ)は、1912年に日本で初めて木造機帆船〈開南丸〉による南極探検を行いました。
最初は北極を目指した白瀬でしたが、アメリカの探検家、ロバート・ピアリーの北極点到達を知ると計画を南極に変更し、1910年11月28日、隊員27人とともに、〈開南丸〉で東京芝浦港を出向しました。ちなみに、開南丸を命名したのは東郷平八郎です。
南極探検旗
この開南丸のマストには、隊旗「南極探検旗」が掲げられていました。これは4つの星をダイヤモンド形に結んだデザインで南十字旗とも呼ばれ、硬い団結と信頼を表しています。
大和雪原
困難な公開を経て、開南湾(白瀬命名)に到着した後も過酷な探検は続き、ついに南極点到達を断念しました。1912年1月28日に到達した南緯80度50分周辺一帯を「大和雪原」と命名して帰国の途につきました。ただ、残念なことに、日章旗を立てた地点は、大陸ではなく氷上でした。
余談ですが、白瀬矗は秋田県金浦村(現・にかほ市)の歴史あるお寺の長男として生まれました。白瀬矗の業績を記念するため、にかほ市には知らせ南極探検隊記念館が建てられています。また、記念館周辺の「南極公園」には、開南丸のレプリカもあります。
まとめ
・日本で初めて木造機帆船による南極探検を行ったのは「白瀬矗」
・その際に使われた船の名前は〈開南丸〉
・白瀬は南極点到達を断念し、「大和雪原」と名付けた地点は大陸ではなく氷だった