灯台が擬人化される時代になったので、改めて灯台の起源を知ろう
灯台擬人化プロジェクト『燈の守り人』というものが進行中らしいです。
人の細胞まで擬人化してしまう時代なのでもはや驚かないですが、人の想像力って本当にすごいですね!ということで、せっかくなので今回はあまり知られていない灯台の起源について解説していこうと思います。
もともとは狼煙から始まった
天智天皇の2年(663年)、朝鮮半島への遠征で唐の水軍に大敗を喫した日本は、大陸からの逆襲に備えるため、津島、壱岐、筑紫に防人(さきもり)を置き、烽(とぶひ)を置いて海岸防備の固めとしました。烽とは、緊急時に狼煙をあげて緊急事態を知らせる施設のことです。
昼は煙を上げ、夜は松明を焚いたその烽火が、遣唐使船の帰着の目標として好都合であったため、防衛と標識の目的を兼ねて烽火をあげたこの烽が、日本の灯台の始まりと言われています。
日本初の洋式灯台
その後、海運が発達してくる16世紀末から明治の初めにかけて、灯明台(とうみょうだい:和式灯台のこと)が大阪の住吉や神奈川の浦賀をはじめ、各所に設けられました。1868年には洋式灯台の建設が行われ、翌年元日、東京湾口の観音崎灯台に灯がともりました。この日本初の洋式灯台である観音崎灯台の起工日を記念して、11月1日が「灯台記念日」となっています。
ちなみに、日本最古の和式灯台は、兵庫県明石港にある旧波門崎燈籠堂(きゅうはとさきとうろうどう)です。ちなみに、1657年に当時の明石藩主 松平忠国によって作られたと伝えられており、1963年に航路標識としての機能は廃止になりましたが、2014年に国の登録有形文化財に登録されました。300年以上もの間灯台としての役割を果たしたことになります。すごい・・・!
世界最古の灯台
世界最古の灯台は紀元前3世紀頃にエジプトのアレクサンドリア湾岸のファロス島に建造されたアレクサンドリアの大灯台(ファロス灯台とも)だと言われています。高さ約134メートルと、非常に巨大な建造物でしたが、14世紀の二度の地震によって全壊してしまいました。当時の人類の建築技術の水準を超えていることから世界の七不思議のひとつに数えられています。
航海に欠かせなかった磁気コンパス。発明されたのはいつか知っていますか?
iPhoneのコンパス機能が1年で一番多く使われるのはおそらく節分の日ではないでしょうか。特別な日でない限り、多くの人は日頃から方角を気にすることはないと思いますが、昔の船乗りにとって方角を知ることは非常に重要な事でした。
今回は、方角を知るために使われていた磁気コンパスの起源にについて解説していきます。
磁気コンパスの発明
磁気コンパス(羅針盤)は古代中国の四大発明のひとつです。火薬、紙、活版印刷、そして羅針盤ですね。紀元前、中国ではすでに「磁石は南北を指す」ことが知られていたようです。すごい!「司南之杓(しなんのしゃく)」という、レンゲの形をした磁石を方位盤の上に載せたものが発明されました。これを発展させたものが風水で使われる「羅盤」で、ヨーロッパに伝わった後、船で使用できるように改良されて磁気コンパスになりました。
江戸時代には日本へ
日本においては、羅針盤は和磁石や船磁石と呼ばれ、江戸時代の中期ごろから広く普及しました。当時は年数や時刻、方角等を表すのに十二支が用いられていたため、北を子として右回りに十二支を当て、北東を丑寅(艮:うしとら)、東を卯、南東を辰巳(巽:たつみ)、南を午、南西を未申(坤:ひつじさる)、西を酉、北西を戌亥(乾:いぬい)としました。
現代にも残る十二支の方角
江戸時代、深川にあった遊里(遊郭のこと)を辰巳の里といいましたが、江戸城の南東にあったことからこう呼ばれるようになりました。現在、国際水泳場のある江東区辰巳もこれを受け継いで命名されました。
また、桃太郎に付いて鬼ヶ島に乗り込んだ3匹の動物はサル、イヌ、キジですが、これは鬼門である丑寅の方角から見て反対側にあたる裏鬼門に申、酉、戌があることに由来します。
船の進行方向を表す取舵、面舵も十二支の方角が使われています。これについては以下の記事で触れています。
funeken-taisaku.hatenablog.com
【潜水艦に関する雑学特集】その3 海底2万マイルに登場する一角を持つ潜水艦〈ノーティラス〉
海洋冒険SF小説で一番有名な潜水艦といえば、「海底2万マイル」に登場する潜水艦〈ノーティラス〉号ではないでしょうか。
海底2万マイルの物語
海底2万マイルの物語を要約すると、海洋生物学者のアロナックス博士が、頻発する謎の船舶襲撃事件を調査しているところ、博士の調査船も襲われてしまう。襲ったのは船首に強靭な角を備えた潜水艦〈ノーティラス〉号だった。それから、博士と助手ら3人は〈ノーティラス〉号に乗り込み、謎の経歴をもつモネ船長とともに世界を駆け巡って様々な冒険を繰り広げる、というものです。
小説「海底二万里」
元祖「海底二万里」(原題:Vingt mille lieues sous les mers)は、フランス人小説家ジュール・ヴェルヌによって書かれ、1870年に発表されました。彼はサイエンス・フィクションの開祖として有名で、SFの父とも呼ばれています。
日本で最初に翻訳されたのは1956-57年の岩波少年文庫で、その後「海底二万海里」「海底2万マイル」など少し異なるタイトルのものも含め、何種類もの邦訳版が出ています。
ディズニー版「海底2万マイル」
「海底2万マイル」は映画化も複数回行われており、1954年航海のディズニー版(主演:カーク・ダグラス)が最も有名です。また、東京ディズニーシーのミステリアスアイランドにも同名の大人気アトラクションがあります。
海の事故は海上保安庁へ!ちなみに番号わかりますか?
海上保安庁の公式ツイッターで、春一番などの強風による海難事故防止を呼びかける運動が投稿されていました。
船名乗りじゃなくても、海難や海の事故を見かける可能性はありますが、いざという時、何番にかければいいか分かりますか?110番じゃないですよ!
2月3日(水)から3月20日(土)の間、#串木野海上保安部 は 「#春一番 海難防止強調運動」を実施します。
— 海上保安庁 (@JCG_koho) 2021年2月3日
春一番などの南風(はえんかぜ)による船舶事故に気を付けてください。#海上保安庁 #海難防止 pic.twitter.com/MNYGfIVRSj
海上保安部の直通番号は118番
海難や海の事故を海上保安部に伝えるための直通番号は118番です。海における110番ともいえる「118番」は、2000年5月1日に運用が始まりました。制度を作るにあたって、その電話番号が検討されましたが、陸上で確立している緊急番号の110番、119番と同じ11✗番台で考えると、空いているのは111番、112番、そして118番でした。
ちなみに、113番〜117番は以下の通り
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113=電話サービスの故障等に関する相談
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114=相手先の電話がお話し中かどうかを調べる
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115=電報の申込み
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116=電話の新設・移転・各種相談
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117=時報(現在の時刻確認)
そこで、「時報の117番と消防の119番の間の118番がいいのでは」となり、そこで当時の海上保安庁長官(荒井正吾)の誕生日が1月18日だったため、なおさらいいね!ということで「118番」に決まったといわれています。
海か河川か微妙な場合
水上で事件や事故が起こった場合、管轄が分からないので警察と海保どちらに通報したらいいのか分からない、という話をよく聞きます。基本的に海での事件や事故の対応は海上保安庁が行い、河川での対応は警察が行います。難しいのは、河川と海が接する河口付近ですが、基本的に海から川に向かって1番目の橋までを海上保安庁が管轄しており、その橋より上流については警察の管轄となります。
※ただし、埋立て等で本来の第一橋の下流に橋がかけられた場合も管轄の境界は変わらないため、境界が第一橋でない場合もあります。
#カレー曜日 金曜日はカレーってどうやって決まったの?
「金曜日だ!カレーを食べよう」ではなく、「カレーだ!今日は金曜日か!」が本来の姿です。そもそもなぜカレーなのでしょうか?
シチューからカレーライスに
明治時代、軍艦の乗組員は、長期航海中に脚気(ビタミンB1が欠乏して起きる病気のこと)になることが多かったようです。その原因は食事にあると判断した海軍が、それまでの日本食一辺倒を改め、イギリス海軍にならい洋食を取り入れました。その中にカレー味のシチューがありました。カレーに小麦粉を加えてとろみをつけ、パンに付けて食べるのではなく、ご飯にかけて食べるようになりました。海軍では毎週土曜日がカレーの日になりましたが、その伝統は海上自衛隊にも受け継がれ、週休二日制導入により金曜日がカレーの日となりました。
海軍カレーのレシピは公開されている
海上自衛隊の各艦には自慢のカレーがあり、そのレシピはウェブサイトで公開されています。その数なんと34種類!いつか全部作ってみたいですね!
なお、本家である海軍の「カレイライス」のレシピは、1908年刊行の「海軍割烹術参考書」(舞鶴市公式ホームページに公開されています。)に記載されており、このレシピをもとに現代に復元されたのが神奈川県横須賀市の「海軍カレー」です。
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タイタニックの遭難を機に世界に広まった遭難信号「SOS」その意味は?
先日ツイッターで以下のような問題を出しました。
答えは「特に意味はない」です。タイタニックがこの遭難信号を使用したことがきっかけで世界に広まったSOSですが、意味がないとは一体どういうことでしょうか?
タイタニックは2種類の遭難信号を送っていた
遭難時、〈タイタニック〉号は、次の2種類のモールス符号による信号を発信しています。
CQD(ー・ー・ーー・ーー・・)
SOS(・・・ーーー・・・)
CQDのCQは「全無線局宛」、Dは「遭難」を意味し、「全無線局に対し遭難を知らせる」という一般の通信に近い符号をの構成であるため、区別がしにくいという欠点がありました。SOSはこれを解消するために採用された特別の符号で、符号そのものに特に意味はありません。
〈タイタニック〉号には、遭難信号としてCQDを提唱していたマルコーニ社の無線設備が設置されていたため、最初はCQDを発信しましたが、より多くの船舶に救助を求めるため、SOSも発信していたものと思われます。(ちなみに、マルコーニ社の創業者であるイタリアの発明家グリエルモ・マルコーニは無線通信の発展に貢献したとして、ブラウン(ブラウン管の発明者)とともにノーベル賞を受賞するほどの人物です。)
このモールス信号SOSは、遠距離まで届かない、信号発信には専門技術が必要、突然の転覆では対応できないといった弱点があり、1999年に導入された人工衛星を使った全世界的な海上遭難・安全システム「GMDSS」にその任を譲り、使命を終えました。
ただ、SOSという信号の意味は現代でも変わらず多くの人に認知されていますよね!モールス信号も単純なので、覚えておいて損はないと思います。
【潜水艦に関する雑学特集】 その2世界初の原子力潜水艦〈ノーティラス〉
潜水艦に関する雑学特集第2段目は世界初の原子力潜水艦〈ノーティラス〉の偉業についてです!
原子力潜水艦って?
原子力潜水艦とは、動力に原子炉を使用する潜水艦のことです。原子力船は、少ない燃料で大出力と長い航続距離が得られ、さらに燃料の燃焼に酸素が不要という特徴があります。そういったことから、軍用、商用を問わず強い関心が持たれ、1950〜1960年代にかけて、米国、ドイツ、ソ連などで相次いで就航しました。
〈ノーティラス〉の偉業
中でも1954年に進水した世界初の原子力潜水艦〈ノーティラス〉は、今までの潜水艦とは一線を画した性能を持ち、安全潜入深度が700ft(213m)に達し、水中での速力が20ノットを超えたうえ、燃料交換をせずに62,562マイルもの航海が可能になりました。また、ノーティラスは史上初めて潜航状態で北極点を通過した船艦としても有名です。(太平洋側からグリーンランド側へ抜けました。)
現存の原子力船
現存する原子力船のほとんどはアメリカ海軍の空母や潜水艦で、民生用として建造されたものは、ロシアの砕氷船を数隻残し、ほとんどが退役しています。日本初の原子力船〈むつ〉もすでに退役しました。むつは1993年に原子炉を撤去され、現在は海洋地球研究船〈みらい〉として運航しています。
現在の〈ノーティラス〉
ノーティラスは1980年3月30日退役しました。以後、解体されることなくコネチカット州グロトンで記念艦としてアメリカ海軍潜水艦隊博物館に保存・公開されています。
まとめ
・世界初の原子力潜水艦〈ノーティラス〉は史上初めて潜航状態で北極点を通過した。
・原子力船の主なメリットは、「少ない燃料で大出力」と「長い航続距離」が得られること
・日本初の原子力選〈むつ〉はすでに退役しており、海洋研究船になっている